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失意のエンジニアを義手開発へと突き動かした少年

昨年10月のある晴れた木曜日の午後、当時54歳だったエンジニアのライマン・コナーはバージニア州の自宅を出て、美しい景観が広がるブルーリッジ・パークウェイを自転車で走っていました。しかし彼はこの日、無事に帰ることができませんでした。

パークウェイの急な坂道の1つを時速40マイルで下っているとき、ライマンの目の前で突然、車が停止したのです。「記憶の最後にあるのはハンドルから投げ出されたときの光景。集中治療室で目が覚めると、呼吸を確保するためのチューブが挿されてました」

コナーはこの転倒事故で頭蓋骨を9カ所 骨折したほか、腰と顎の骨、鎖骨、複数の肋骨を骨折。さらに、骨折した肋骨の1本は肺に突き刺さりました。そのうえ、片目の視力と味覚も失うことになりました。

病院での1週間の療養を経て、ライマンは自宅に戻ることに。退院の日、病院のエレベーターに乗りこんだ時はまだ強い痛みがあり、ギプスもはめていました。そのエレベーターの中で、彼は目を真っ赤に泣きはらした1人の少年に出会います。「”おじさんに比べりゃ大したケガじゃないさ”と言って包帯だらけの自分を指さし、彼を笑わせようとしたんです」とコナーは振り返ります。

ところが、少年は自分の腕を持ち上げ、こう言いました。「おじさんにはまだ両手がついてる」・・・少年の腕の手首から先は失われていました。「わたしは何と言えばよいか、分かりませんでした」

バイオニック・ハンドを手に取るライマン・コナー

ライマンは、少年の家族には75,000ドル(約750万円)もする電動義手を買う余裕がないことを察知しました。そしてその時、この少年のために電動義手を作ろうと決心したのです。「人生には転機が訪れる瞬間があります。この時も、そうでした」

GEのエンジニアとして、タービンや発電所のソフトウェアを製作しているライマンは、根っからの機械好き。彼のガレージには3Dプリンターがあり、それを使って低価格なバイオニック・ハンド(生体工学を用いて製作した義手)を作ることにしました。「購入資金がないことを理由に、義手をあきらめてほしくありませんでした」

コナーはインターネットでロボハンド社のホームページを見つけました。同社は南アフリカで、3Dプリンター製の義手を開発するオープンソースのプロジェクトを手がけています。同社の取り組みから、3Dプリンター製の義指の最初の青写真を得た彼は、手首の設計とバイオニック・ハンドに組み込む回路についてミシガン電動義手開発研究所で学び、地域の退役軍人(V.A.)病院を訪れては義肢装具士や患者さんの話を聞きました。

高性能な電動義手は、腕の筋肉が発する電気信号を読み取るセンサーを備えています。しかし、片手を不自由なく動かせる人の中には、動かせる方の手で義手をコントロールしたいというニーズがあることに気付いたのです。「ある男性から、義手を操作することのできるスマホのアプリを作ってくれないか、と言われたんです。それで、このアプリを開発したんですよ」

ライマンはこのプロジェクトに自費で約10,000ドル(約100万円)を投資していましたが、アプリを開発するプログラマーを雇うには、さらに4,000ドル(約40万円)かかります。そこで、独学でコーディングを学びました。「天才じゃなくても、ただ臨機応変に対応するだけで、なんとかなるものだね」

ライマンの探究は、修理屋、愛好家、日曜大工(DIY)起業家といった多種多様な人々が集うグループに辿り着きます。ものづくりに関わる人々の間ではムーブメントでもあるこうしたコミュニティのひとつ、TinyCircuitsは、オハイオ州でオープンソースの小型コンピューターボードを製作しています。TinyCircuitsは、ライマンの義手に組み込むためにイタリアArduino社のマイクロコントローラーを利用した小型シングルボードを提供。Bluetooth接続によってライアンのアプリで義手操作を可能にしました。また、コミュニティを通じて知り合ったバージニア州の機械工が、義手に必要な金属製の接続部品などを作りました。

Arduino社のボードを柱とした試作電動義手の電子回路

ライマンの電動義手は、ほぼ完成です。機械部品や電子部品はすべて完成し、残るは表面を覆うプラスチックだけ。でも、ライアンの3Dプリンターが故障してしまったため、製作はしばし足踏み状態です。「一歩ずつ進めないとね。自転車を数台売った資金と、最近Kickstarterのクラウドファンディングで集めた資金とを合わせて、Formlabs社製の高解像度3Dプリンターを買うつもりなんだ」

ライマンの義手が完成したら、組立てに必要な部品をひとまとめにし、4,000ドル(約40万円)前後で販売される予定です。部品は壊れたら取り替えることができます。「場所を問わず組み立てられる、手頃な装置にしたかったんです。この装置を必要とする人が、世界中に大勢いるはずだから」

ライマンは事故後の療養を経て、予定より9カ月早い 今年1月にGEに復帰しました。視力と嗅覚は取り戻しましたが、事故後15キロ以上も体重が減りました。痩せてしまった原因は、味覚が失われたことだと言います。「何を食べてもオートミールの味に思えてね。友人たちはみんな『おい、死にそうじゃないか』と言います。でも、実際のところ、このプロジェクトのおかげで人生に新たな意義を見いだすことができたんです」

ライマンはこう続けます。「称賛など必要ないんです。心温まる話でもありませんし、お金のためにやってるわけでもありません。ただ、この話を知った人々が自身を見つめ、なにか他者のためにできることを見いだしてくださったらいいなと思います」

ライアンには成し遂げなければならない大きな仕事が、まだひとつ残っています。エレベーターで出会った少年の名前も住所も控えていなかったのです。「この記事がきっかけで、彼を見つけられることを願っているよ。わたしの作業場でつくった彼の新しい『手』は、もう、完成間近だからね」