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スピルバーグ家とGE、汎用コンピューターにまつわる関係

GEのメインフレーム「GE-225」を設計した映画監督スティーブン・スピルバーグの父親、アーノルド・スピルバーグ。
コンピュータ誕生にまつわる彼とGEの関係をご紹介します 。

トーマス・エジソンからロナルド・レーガン元大統領や小説家のカート・ヴォネガットまで、GEの123年にわたる歴史には、そこで働いた著名人の名前もたくさん刻まれています。その中で今回紹介したいのは、「スピルバーグ」氏のこと。といっても、皆さんよくご存じの映画監督スティーブン・スピルバーグではなく、その父親であるアーノルド・スピルバーグです。

1964年5月1日、ダートマス大学の開発チームが「GE-225」上で「BASIC(初心者向け汎用記号命令コード)」というプログラミング言語を初めて走らせてから、今年で50年。当時GEで、この「GE-225」というメインフレーム・コンピューターを設計したのが、アーノルド・スピルバーグでした。

スティーブン・スピルバーグ氏は、「GEの工場で父がGE-225をつかって仕事をしていた光景、今もよく覚えていますよ」と語っています。「中はとても明るくて、目が痛いほどでした。父は私にコンピュータの性能について説明してくれましたが、コンピュータサイエンスの話はまるで外国語のようでしたね。とてもエキサイティングだったけど、自分には無縁の世界だと思っていました。それが1980年代になって、父のようなパイオニアたちが創り出していたものは、もはやそれなしでは生きていけないほどのものだった、ということに気付かされたんです」

ニューヨーク州スケネクタディのGE工場内のGE-225

ニューヨーク州スケネクタディのGE工場内のGE-225

ビジネスコンピューターの開発

現在98歳になるアーノルド・スピルバーグは、人生を通してずっと、エレクトロニクスに夢中でした。8-9歳の頃からラジオをいじって遊んでいた少年は、第二次世界大戦ではインドで米爆撃隊の通信隊長に。その後、RCA社で初期の真空管式コンピュータの制作を開始。1957年、アリゾナ州フェニックスにてGEが産業用コンピュータ部門を立ち上げる時に、スピルバーグは入社しました。

ただ、この部門にはちょっとした問題がありました。当時のGE会長兼CEOであったラルフ・コーディナーは、この部門を立ち上げたエンジニア、ホーマー・R・「バーニー」・オールドフィールドに反して、ビジネス・コンピュータを製造する意向はなかったのです。コーディナーは「GEは産業向け機器の企業として、その分野の製品製造に注力すべき」という確固たる信念の持ち主でした。

GEメインフレーム・コンピューター「GE-225」

そんな中、スピルバーグは彼がRCAから呼び寄せた同僚、チャールズ・プロップスターとともに、1959年にGE-225を設計しました。1,000枚のサーキットボード、10,000個のトランジスタと20,000個のダイオードが詰まった20ビットのコンピュータでは、部屋ひとつをいっぱいにするほどの大きさでした。データはディスク、磁気テープ、パンチカード、穿孔テープに保存。11名のオペレーターが座って、外部の端末からメモリに個別にアクセスすることも可能でした。コーディナーがこの事に気付いた時は、開発チームはすでにバンク・オブ・アメリカという顧客まで獲得していました。「コーディナーは落成式に参列すると、式典の直後に、ルール違反だとしてバーニー・オールドフィールドを解雇しました」とアーノルド・スピルバーグは振り返ります。「そして、18ヵ月で事業から撤退するよう命じました」。

ビジネス・コンピューター「GE-225」を利用する姿

しかし、事業はコーディナーの意に反して大ヒット。25万ドルという価格にもかかわらず、「GE-225」には、マーケティング・チームが「雪崩のようだ」と表現するほど注文が舞い込みました。そして、何十台にものぼる「GE-225」を顧客だけでなく、GE社内の他部門にも販売しました。

新聞各紙は「『GE-225』なら、30,000個の6桁の数字を1秒で足し算でき、スケネクタディに住む男性、女性、子供全員の年齢も5秒で計算することが可能」 「1964年のジョンソンとゴールドウォーターの大統領選の結果を5ポイント以内の誤差で予想した」と報じました。「GE-225」は、プロフットボールNFLのクリーブランド・ブラウンズでチケット販売の管理に活用されるなど、多方面でその性能を発揮。ブラウンズのアート・モデル社長は66年当時に「そのうち、コンピュータが次のプレーコールを指示する日が来るかもしれないね」と笑った、と報じられています。

ブラウンズの「GE-225」導入を報じる新聞記事

ブラウンズの「GE-225」導入を報じる新聞記事

半世紀を経た今、実現されるGEの「産業向け」コンピュータ製品

時間はかかったものの、最終的にはコーディナーの考え通り、GEは1970年に商用コンピュータ部門をハネウェル社に売却し、メインフレームの事業から撤退しました。しかし半世紀を経た今、現在の会長兼CEOであるジェフ・イメルト(ダートマス大卒)は、産業用インターネット向けのソフトウェアやクラウド・アナリティクスの開発を行い、また石油掘削装置から発電所、ジェットエンジンなど至る所でモニタリングし、ビジネス効率の向上に努めています。これはある意味、コーディナーのビジョンであった「産業向け」のコンピュータ製品を今、イメルトが実現していると言えるかもしれません。

なお、アーノルド・スピルバーグは1963年にGEを退職。それから40年以上を経た2006年、「現代のフィードバックおよび制御プロセスの定義に大きく寄与した、リアルタイムのデータ取得と記録に対する貢献」を認められ、IEEEコンピュータ・ソサエティから「コンピュータ・パイオニア」として表彰されています。

「GE-225」を紹介する新聞記事