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発電所から生まれた米国初のジェットエンジン

「白熱電球」でよく知られているトーマス・エジソンは、実はGEの航空事業にも多く影響を与えました。
GEの航空技術、そしてジェットエンジン誕生の歴史をご紹介します 。

多くの人にとってトーマス・エジソンといえば「白熱電球の実用化に成功した発明家」でしょう。でも彼は、特許を活用して新産業や長年にわたり続く事業を生み出すのに長けた、根っからの起業家でもありました。GEは1892年にエジソンが創業したエジソン・エレクトリック・カンパニーとトムソン・ヒューストン・エレクトリック・カンパニーとが合併して誕生しましたが、現在は、磁気共鳴断層撮影装置(MRI)のような医療機器、発電用ガスタービン、ジェットエンジンまであらゆるものを手掛けています。

これら製品は非常に複雑でハイテクなイメージがありますが、エジソンが研究所で照明や電気を作っていた時代にルーツを持つものが少なくありません。エジソンが取り組んだX線開発や医療画像事業は、白熱電球から派生したものでした。いまGEの主力事業のひとつとなっているアビエーション(航空関連)事業も、エジソンが始めた発電やガスタービン製造から派生して生まれたもの。ちなみに今では、逆にアビエーション部門のエンジニアが 発電用ガスタービンの開発チームにジェットエンジンのノウハウを提供することも。優れた技術があるなら、使える限り使わないともったいないですからね。

世界一だったGE製の蒸気タービン発電機

上:1903年ニューポートに設置され当時世界一だった蒸気タービン発電機
最上部の画像:GEnxエンジンを搭載したB787ドリームライナー(写真:Adam Senatori氏)

エジソンが白熱電球を商用化し、続いて彼が完成させた電流装置は電気への旺盛な需要を生み出しました。電気は「夜を照らす」だけでなく、工業の発展を支えました。多くの企業は当初、発電機を動かすのにピストンエンジンを利用していましたが、やがてすぐに効率性の高い蒸気タービンへと切り替えました。1903年、GEのエンジニアであるチャールズ・カーティスとウィリアム・エメットは、ロードアイランド州ニューポートの発電所向けに当時世界一パワフルといわれた蒸気タービン発電機を設置。同等のピストンエンジンに比べ、設置スペースは10分の1、コストは3分の2しか必要としない画期的なものでした。

GEのタービンエンジニア、サンフォード・モス

その年、GEは若いタービンエンジニアのサンフォード・モスを雇用しました(上の画像)。コーネル大学でガスタービン研究の博士号を取得したばかりの彼は、GEで革新的なラジアル型ガス圧縮機の設計に着手します。これは遠心力を利用して空気を圧縮してからガスタービンに送り込む仕組みで、使っている力は遊園地の回転ブランコと同じものです。

彼の特許技術や革新的な圧縮機の設計は優れており、高炉の空気供給から気送管システムの動力まで、さまざまなものに応用できることが分かりました。図らずも、ライト兄弟が初飛行を遂げる以前にすでに彼はジェットエンジンの方向性を示していたのです。

ラジアル型ガス圧縮機

第1次世界大戦さなかの1917年11月、GEは米航空宇宙局(NASA)の前身にあたる国家航空宇宙諮問委員会から、戦闘機リバティのエンジンの性能向上要請を受けました。このエンジンの定格出力は海面位では354馬力ですが、高高度の上空では半減します。モス(上の画像右)は圧縮機で空気を圧縮してからエンジンに送り込めば、空気密度を高め、高度とともに減衰するエンジン出力を回復することができると確信していました。

パイクス山の山頂でターボ過給機のテスト

ピストンエンジンのシリンダーに機械装置を使って自然吸気より多量の空気を充填することを過給といいます。モスはリバティの航空機エンジンが排出する高温排気ガスを利用してラジアル型タービンを回転させ、エンジンに送り込む空気を圧縮するターボ過給機を設計しました。そして1918年、コロラド州にあるパイクス山の標高14,000フィート(約4,267m)の山頂でテストします。結果、このエンジンは海面位での定格出力と実質的に同等の352馬力を実現し、このことがGEのアビエーション(航空技術)事業への参入を決定づけました。

ターボ過給機を搭載した飛行機、世界高度記録を樹立

モスのターボ過給機を搭載した飛行機はいくつもの世界高度記録を樹立

ジェットエンジンを生産したGEのエンジニアグループ

1941年、米国政府はGEに英国のフランク・ホイットル卿が開発した初期のジェットエンジンの1つを生産するよう要請しました。「Hush Hush Boys」と呼ばれていた当時のGEのエンジニアグループは、このエンジン用に新たな部品を設計し、その他の部品も再設計してテストして「I-A」と呼ばれる極秘の試作モデルを生産しました。1942年10月1日、米国初のジェット機、ベルXP-59Aがカリフォルニア州のミューロック乾湖から離陸し、短いフライトを行いました。これは、米国のジェット機時代の幕開けを意味しました。

試作モデル

ラジアル型(=遠心型)タービンを利用して空気を圧縮する仕組み

ジェット機時代の始まりにあたり、GEはリスクを覚悟でジェットエンジン研究に投資することを決意します。ラジアル型(=遠心型)タービンを利用して空気を圧縮する仕組みをもつ初期のエンジン「J33」「J35」は、モスが開発したターボ過給機の設計に似ていました。しかし、GEのエンジニアたちは軸方向に空気を押し出す軸流型タービンを用いたエンジンの開発に取り組みました。ちなみに、現在のジェットエンジンはすべて軸流型設計です。こうして出来上がったのが「J47」エンジンで、F86セイバーなどのジェット戦闘機から巨大なコンベアB-36戦略爆撃機まで、あらゆるものの動力源となりました。1964年の東京オリンピックの開会式で、大空にオリンピックマークを描いて見せた航空自衛隊の曲芸飛行チーム「ブルー・インパルス」が乗っていたのも、GE製「J47」エンジンを搭載したF-86機でした。生産数35,000基にも上った「J47」エンジンは、史上最多生産台数を誇るジェットエンジンとなりました。

速度記録を達成したジェット自動車「スピリット・オブ・アメリカ号」

「J47」エンジンはジェット機以外にもいくつかの用途に応用されました。速度記録を達成したジェット自動車「スピリット・オブ・アメリカ号」には1基、今なお世界最速記録を守るジェット機関車には2基搭載されています。

1948年、GEはドイツの戦争避難民で航空産業のパイオニアであったゲルハルト・ニューマンを社員に迎えました。彼はすぐにジェットエンジン改良に取り組み、可変静翼という革新的なイノベーションを考案。これによってパイロットがタービン内の圧力を変更できるようになり、恒常的な“超音速”の飛行が可能になりました。ニューマンの可変静翼を搭載した最初のジェットエンジン「J79」(下画像)のテストを開始したGEのチームは、(音速を超える速さゆえに通過音がいつもと違うので)出力が大きすぎて誤作動が起きたと思ったとか!その後1960年代には、GE製ジェットエンジン搭載のXB-70ヴァルキリーは、音速の3倍にあたるマッハ3を超える飛行に成功するまでになりました。

ニューマンの可変静翼を搭載した最初のジェットエンジン「J79」

この性能向上を見たGEのエンジニアたちは「可変静翼やその他の設計上のイノベーションが、発電所の効率も高める可能性がある」ということに気付きます。

航空機エンジンを地上用途に転用するのは難しいことではありませんでした。1959年には、「T58」ヘリコプターエンジンを出力1,000馬力のタービンに転用し、地上や船舶での発電に利用できるようにしました。「J79」エンジンを利用した類似装置の出力は15,000馬力に。1950年代にGEアビエーションが拠点を移したシンシナティでは、地域の公益事業体が「J79」エンジン10基を環状に配置し、巨大な動力源として利用しました。

航空機由来の転用タービン「エアロデリバティブ」

GEは、こうした航空機由来の転用タービンを「エアロデリバティブ(航空機派生型)」と呼んでいます。エアロデリバティブはまず、海軍の76,000トンのスプルーアンス級駆逐艦の動力として主に利用されました。いま世界最速を誇る客船「フランシスコ号」にも搭載されています。旅客定員は1,000人、積載車両台数は150台で、最高速度は時速58ノット(約107km)です。

世界で活躍する「エアロデリバティブ」

いま世界では数千におよぶ「エアロデリバティブ」が活躍しています。ごく最近は、経済成長が続くエジプトで増える勢いが止まない電気需要にも貢献しています。

ノイマンの可変静翼

ニューマンの可変静翼(上)は、GEの最新型の発電用ガスタービン「9HAハリエット」にも採用されています。世界最大かつ最もパワフルで効率性の高いこのガスタービンが2基あれば、小規模な原子力発電所と同等の電力を作ることができます。

次世代ジェットエンジンADVENT

いまGEアビエーションは、次世代ジェットエンジン「ADVENT(Adaptive Versatile Engine Technology:適応型多用途エンジン技術)」(上)の開発にも取り組んでいます。米空軍研究所でADVENTプロジェクトを主導するジェド・コックス氏の言葉を借りれば「適応型サイクルエンジンは、簡単に言えば、商用エンジンと戦闘機用エンジンを“いいとこ取り”で組み合わせた新型エンジン」です。